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あしたしぬかもしれないぼくには「全力で生きようぜ」みたいなことは口が裂けても言えない

 

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どうもこんにちは赤井です。

 

先日、ある友達とのLINEでこんなことを言われました。

 

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 前にもこのブログに書いたようにぼくの夢は33歳で死ぬことです。

ぼくはいま22歳なのであと11年。

 

33歳で死のうと思った日から無駄な時間は過ごしたくないと強く思うようになったし、自分がやりたくないと思うことは極力しないように生きてきました。

 

あしたしぬかもよなぼく

あしたしぬかもよ

先日からぼくのブログタイトルとなった言葉です。

 

 

33歳で死ぬのが夢なぼくですが正直33歳まで生きる自信がないです。

明日死ぬかもしれないし明後日死ぬかもしれない。

 

これはもちろん事故とか病気になるかもしれないということもそうですが、それよりも多分やりたいことというか明日も生きるぞというモチベーションになるものがなくなったら生きる意味を見失って自殺するんじゃないかなと思っています。

 

ブログタイトルをこれにしたのもそんな感じからです。

人生に絶望しての自殺、それも立派なしいんじゃないですかね?

 

生き死にについて偉そうなことは誰も言えない

 自殺大国と言われ、特に10代~20代の自殺者が多いことで有名な日本です。

ぼくの知り合いにも自殺してしまった人がいるようですし、ぼく自身もそういうことを毎日考えた時期がありました。

 

 ぼくの人生の中のターニングポイントではそんな生きること死ぬことだとか生きる意味のようなものを考えたりします。

 

そんな時にそういうことを普段考えない人が軽い言葉で「生きたくてもいきれない人もいるんだよ」みたいなことを言われるとすごい腹が立って仕方ないです。

 

生きることが素晴らしいことで死ぬことが悪いこととも思えません。

そこは個人の自由でしかないですし、それに口を出すのは傲慢なことだと思ってます。

 

 

生きることと死ぬことを考えてない人のほうがぼくは幸せだと思う

 

 ぼくがこの手の話をすると多くの人は「自分ももっと死ぬこと意識して時間を大事にして生きてかないと思った」という人が多いですが、ぼくとしてはそれってすごいうらやましいです。

 

なんとなく日々を生きることを「惰性をむさぼること」というようにぼくは考えてしまいがちです。

 

これは高校時代の一時期日々の生活の中に何も楽しいことがないという時期を過ごし、その中で「なんも面白いことがないのに生きる価値なんてなくね?」と思い始めたことが原因です。

 

でも、そんなことを考えずなんとなくダラダラ生きてなんとなく毎日の中に楽しいことや幸せを見つけて生きれてる方が確実に幸せですよ。

 

 

 

ってことであしたしぬかもよの中の人赤井れんは「全力で生きようぜ」みたいなことは言えません。

というか、死にたい人は無理して生きることはないと思います。

 

人生なんてそんなもんじゃね?